映画「桐島、部活やめるってよ」

先々週末だったでしょうか、土日連チャンで映画を観ると言う贅沢なことをした。この秋は観たいものが多いので、消化できるうちに消化してしまおうという、このアグレッシブさをスポーツなどの方面に生かせば相当しなやかな身体に生まれ変わると思うそんな出来事だが(そういえば今年こそは運動するって決めたはずなのに…あれ?もう9月だよ?w)、まあとにかくどちらも秀作でございました。のでご報告。

一本目、桐島。



高橋優くんのライブにて、「今度映画の主題歌やることになりました」って話を聞いたのがきっかけで知った映画。ライブに一緒に行った友人が、 この監督の名前観たことある。もしかすると「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の人?―と言っていたのがきっかけで一気に観たい欲が高まったのだった。原作は未読で、なんかNTVの商業映画という(勝手な)印象が強かったので、監督が吉田大八だということを知らなければおそらく観ずじまいであったであろう。

さてその中身だけれども、本当、お見事。何様だって話だけど、お見事すぎて終始鳥肌が立っておりました。
最初に書いておかなければならないのは、この作品は学園モノであって学園モノではないという点かしら。


まず構成。
あの、おなじ時制のシーンをあらゆる角度から撮ってみせる手法。慣れないうちはちょっと焦らされているような感じもするんだけ ど、3人目の視点のあたりから、マルチな視点を与えられた観客たる自分にぞくぞくとした充足感、ああわたしはこの教室の何もかも知ってるよ、みたいな不思議な優越感を覚える。
一方でタイトルや作中登場人物の会話から煽られるように、だから結局桐島ってなんなの、という心持が無意識に自分の中にあるので、どんどん登場人物たちの動向から目が離せなくなる。この構成をとっている段階で、すでになんかもう勝利、という映画だった。
観づらいと感じる人にはとことん観づらいだろうが、このマルチ視点の網に完全に引っかかってしまったわたしとしては、教室なんてひとつでもなんでもない、結局のところ個の集合体に過ぎない、という事実をたたきつけられたような虚しさを覚えた。それがこの映画の醍醐味を存分に味わう一要素のように感じて、何かしら感慨深かったのでした。


次に、キャラクター設定。
これがもう!絶品!絶妙!うますぎる。教室の内実とは非情で、冷酷で、くだんなくて、めんどくさい。という思いをどうしたって起こさせてしまう、とても巧妙な作りこみがされております。
‘上流’生徒の器用さ、華、そして鼻に付く感じ。その流れを汲みながらも、冷静に現実を見極めてうまく立ち回る上の中流、たまに出るコンプレックスや中途半端な能力が隠しきれない中流中の中流。自分たちでもわかってるけど上流のセオリーに流されないだけ実は賢いんじゃないかと思ってたりもする、がやっぱりいけてない下流。「スクールカースト」とか言われたりもするようだけど、そういう教室内に確実に存在するヒエラルキーを本当に上手く描き出している。
本の学校に通ったものならば誰もが この感覚を痛ましいほど思い出すと思うのだけれど、あれは社会人になってからのそれよりもよほど強烈で生々しいものである。達観とか、諦観とかが無いからなのか、人間関係における序列の如実なこと。


この作品の感想でよく、観る人によってまったく感じ方が違う映画だと書いているものがあった。それは当然だと思う。だってきっとみんな、 登場人物の誰かしらどこかしらに自分自身を重ね合わせて観ると思うから。それが学生時代の自分自身なのか、はたまた現在の自分なのかは人それ ぞれであろうが、とにかく自分がこの中のどこかにいる。その誰かの言動行動が自分のあり方を内省させ、なんとも言えないもやっとした感じを生むのである。
学生時代って楽しいけど、生まれ持ったものについて如実な能力評価が施される点においてはやっぱりシビア。社会人になれば色々駆使して誤魔化しやらフォローが効くこともある、のだけどね…。感度もだいぶ鍛えられて(?)鈍くなってるし。

運動部VS文化部の(主に文化部側の一方的な)葛藤やら、‘吹奏楽部’の描き方、女子特有のあの感じ、いけてる組男子のセックス理論などもうまいうまい。何度頷いたことか。。
神木くんたち映画部2人組の会話もいかにもww かわいくて癒されましたがな。

そうだ、殺伐とした雰囲気の中で、ほぼ変わらないのは映画部の日常だったなあ。
スクールカーストの上層が桐島の退部という大事に振り回されているが、それは大事のように見えて、客観的には正直相当どうでもいいことなのだと気づく。
桐島が部活やめても、別に困るのはバレー部の仲間と顧問の先生と推薦入学を目論んでた進路指導の先生くらいなもんなはず。
それをあそこまで騒ぎ立てるのは、桐島というカースト上層の象徴のような、拠り所のような、とにかく桐島という存在があればあとは俺たちオールOK、みたいなステータス、もしくはアイデンティティが崩れてしまうことへの不安以外の何者のせいでもないとおもう。桐島とは彼らの学校生活そのもののようなものなのだ多分。


神木くんたちに桐島の一件が関係ないのは(そもそも交友関係の問題という鬱々としたw問題はもちろん前提にあるとして)、何より彼らの学校生活にとって桐島は桐島という組員単体でしかないからである。桐島について、何も拠るところが無いから。「桐島(の周囲)」と いうセオリーの中で生きてなどいないし、その中で生きようともしていない(生きることができないとも言うけども。でも映画部の相方なんかの発言を見てると、負け惜しみのようでいて実は明確に彼らと一線を引こうとしているふしがある。なんらか、確かに、意思は存在するのだと思う。)
そういった意味では、映画部2人の人生のほうがよほど健康的で、クリーンで誠実である。不器用ではあるけど。


けれどもどちらが正しいとかどちらが面白いというわけでなくて、どちらもありだし、それらの集合体が要するに教室なのである、と思う。
ぜんぜん美しくないし、ぜんぜんアツくない。どんどん生徒たちを取り巻く世の中は複雑になっていくわけだしね。それでもその中で、各々の生き方を模索し何か掴み取ろうと懸命にもがく。言葉にしてみれば陳腐、だけれどそんなそれぞれのもがきこそ学校。そして学校は世界であって、だけど世界でない。
…という強い在り方を、超遠回りでこの作品は教えてくれるように思うのだ。
だからこそエンドロールで流れる高橋優の主題歌はぐっと意味を持ってくるし、この映画はやっぱり学園モノであって学園モノではない。そして文句なしにすばらしい。
と、力強く考えさせられたのでした。。


ラストの、前田と宏樹の会話はよかったな。本当によかった。
好きだったな。ラスト、エンドロールまでのあの息のつけないひとつづきも。
大好きでした。いい映画だと、あのシーンだけで思いましたよ。


そのほか、カメラワーク、はっとする演出、光の使い方、出演陣の演技力などなど、とにかく絶妙だった。
そうそう、最後になっちゃったけど橋本愛ちゃんがね、かわいすぎわろた。ほんと超〜〜〜びしょーーーーじょーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
橋本愛ちゃんの魅力と神木きゅんの成長を観ることができただけでも、存分に満足できる映画でした。


というわけで、毎度のことながらうだうだ長くなっちゃったけど、とりあえずここまで!!
いい映画見ました。




【追記】
シネハスでもついに論じられましたぞよ!
TBS RADIO ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル
桐島視点のシーン一箇所。うーむ、さすが宇多丸さんです。