星野源「エピソード」「ばかのうた」

うかうかしているうちに、12月になってしまった。世間で言う新年と年の瀬のあいだの体感速度が、ここ数年でどんどんどんどん速くなる。こうやって恐らく年を重ねていく。


そんな中、寒くなるとやはり訃報が増えますね。こころなしか。
中村勘三郎のニュースは、個人的にとてもショッキングだった。まだお若いし、自分が小さい頃からご活躍を見てきた方だったので、なんともいえない喪失感がある。

何より、結果的な死因が肺炎、というのがまた何とも言えなかった。わたしの祖父も結局併発の肺炎でそうだったんですよね、と会社で話したら、うちも、うちも、という同僚がとても多くて、なおのこと、人の命のあっけなさみたいなものを感じた。
どんなに医学が進歩しても、つまるところ肺炎ごときが致命傷になる。肺炎ってそれだけ怖い病気なんだけれど、それは重々わかっているんだけど、でも癌とか、新型ウイルスとか、そういうことでなくて、本当に簡単に人の命とは消え入ってしまう。


昨年の暮れに、無印の壁掛けのCDプレーヤーを自宅に迎えた。手軽だし、かわいいし、シンプルでとても気に入っている。これとほぼ同時期に、星野源ちゃん*1のアルバムを一気に購入した。
源ちゃんライブ初参戦が近かったこともあり、クリスマスのあたりはずっとこの壁掛けで星野音楽一色、だったのだけれど、心の底にしみるなあと本当の意味で感じたのは、 1月の中ごろに父方の祖父を亡くしたあとのことだった。
会社帰りに何気なしに聴いていたカーステから「ストーブ」が流れてきて、ふと耳にした 歌詞に、ありえないくらい涙がでてきてしまって運転できなくなった。
年明けすぐから予断を許さないような状態になって、今この次の瞬間にいやな知らせの電話が鳴ったらどうしよう、と毎日おびえて眠れず、そうこうしているうちに祖父は亡くなってしまった。あっと言う間だった。先にも書いたとおり、人は驚くほど簡単に亡くなってしまうし、あっけなく あっという間に亡くなってしまう。得体の知れない喪失感は、ずっとつきまとう。


この曲に決して悲壮感は無い。飄々、淡々としている。悲しみとは日常の中に何気なく存在していて、幸せもまた然り、わたしたちがまとう生活と は脆くもしなやかであったりする。

長く続く日々の 景色が変わるよ
見えぬ明日 足がすくみ うつむけば
見覚えある気配が 手を引くよ
(ストーブ)

本当にそのとおりだと思う。「ばかのうた」もそうだけれど、源ちゃんの音楽は、いつも日常に寄り添っている。


希望がないと不便だよな マンガみたいに
日々の嫉み とどのつまり 僕が笑えば解決することばかりさ

流行に呑まれ人は進む 周りに呑まれ街はゆく
僕は時代のものじゃなくて
あなたのものになりたいんだ

心が割れる音聴きあって ばかだなあって泣かせあったり
つけた傷の向こう側 人は笑うように

(略)
人は笑うように生きる

(くだらないの中に)

わたしはこの人の音楽を、一生聴き続けるのだろうなと思う。
たくさんのお気に入りのアーティストがいるけれど、生活の中で不意に香るのは、いつもこの人の音楽だ。
今年もあと少し、精一杯生きていきたい。そして生活は続く。




ばかのうた

ばかのうた

エピソード

エピソード

*1:aikoのことを書いた次のエントリーがこの人のことであることに、他意は全く無い。ほんとにありませんw