椎名林檎「ありあまる富」

義務教育を受ける前後の段階から老いるに至るまで、本来道徳の規範みたいなものは一貫しているはずである。それでも歳を重ねるに従ってそのグレーゾーンだったり許容の範囲が広がっていくのはその方が生き易いからで、同時にそうしなければ世の中が廻っていかないことも沢山あるからだ。
人としての行動規範が何らかの事情で歪むとき、それは当人にとって利益になるか不利益になるか、至極両極端などちらかの結果にしかならない場合がおおよそだと思う。

例えばどう頑張ってもうまくいかないとき、とか、不条理だと思うとき、とか、絶対に間違っているのに物事が運ぶとき、とか、言葉にしてしまえば単純だが、生きていけばそういった場面は矢継ぎ早にやってくるもの。
自分を納得させようとして、わたしはよくこの曲を聴く。








この曲の頃の椎名林檎は、まさに眼に見えないものの価値、についてよく唄っている。そういう歌詞が非常に多い。
だからこそ一連の流れで感じ入るところも多いのだが、とかく物理的な幸福よりも精神性の豊穣に尊さを見出そうとする。
道徳の教科書では当たり前に教えられてきたことだが、大人になれば‘手に入れられるしあわせ’の方がわかりやすく容易だから、よくよく忘れてしまうことである。

決してその判断が正しいかと言えばそうではないだろうが、それでも譲れないものがある。ただしそれは多分、やっぱり間違っていると思う。人の指摘にも助言にも耳を貸せない者に、そうそう適切な結果など待ってはいない。
それでも自分の価値を歪めてまで享受しようとするのだから、それなりの心持は決まっているのだと思う。
世界はとてもあやふやで、他人の眼からは見えないものばかりだ。




三文ゴシップ

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