島本理生「ナラタージュ」 ※核心まで激しくネタバレ

好きな本は何か、と尋ねられれば、春樹はじめ数限りなくの本を挙げることができる。
けれど何度も何度も読んだ本のナンバーワンは何か、という問いならば(学術研究などに使った本以外でね)、断トツでこの本になるであろう。




ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)

★大学2年生の春、泉に高校の演劇部の葉山先生から電話がかかってくる。高校時代、片思いをしていた先生の電話に泉は思わずときめく。だが、用件は後輩のために卒業公演に参加してくれないか、という誘いだった。「それだけですか?」という問いにしばらく間があいた。
「ひさしぶりに君とゆっくり話がしたいと思ったんだ」
高校卒業時に打ち明けられた先生の過去の大きな秘密。抑えなくてはならない気持ちとわかっていながら、一年ぶりに再会し、部活の練習を重ねるうちに先生への想いが募っていく。不器用だからこそ、ただ純粋で激しく狂おしい恋愛小説。

ナラタージュ…映画などで、主人公が回想の形で、過去の出来事を物語ること。




初読から数年経ちますが、未だに何度も読み返してしまう1冊。
学校の先生への恋心、と書いてしまえば非常に単純だが、それが当人にとってみればいかに大きいことだったか。日常を揺るがす、人格形成に作用する、人生を左右する、それくらいそれがすべての、若くて不器用な恋愛。
誰にでもそんな経験はきっとあるのだろうし、いずれはきっと淡い思い出のひとつになってゆくのかもしれない。人生80年のうちのたった数年。このあと経験する人生の酸い甘いを想像すれば、これはたぶんほんの小さな出来事。だけど同時代においては一瞬一瞬が重く大きな一場面で、一言一言、好きな人の一挙手一投足がめくるめく日々を動かしていく。例えば24歳の わたしにとっては、24年のうちの数年の出来事……事実としての影響力の大きさがそこにはある。それは映画のようで、叙述史で、回想される物語だ。
‘現在進行形の過去’として胸をぎゅっと苦しくさせる記憶が誰にでも多かれ少なかれあるから、この本は 多くの人に支持されるのだと思う。


…と、ずいぶんとまあつらつらと恥ずかしいことをまた書いてしまったけれど、しかしこの作品を読むと、いつもそんなことを思います。
なんだかんだああだこうだと言ってしまうけれど、どの年齢でも、どんな相手でも、一生懸命だった恋愛というのは本当に純粋。だからこそ読んでいて主人公に肩入れしまくってしまうし、応援してしまうし、同時にしょーもない男性陣(前のぶろぐとかで何回も書いてるけど、この本に出てくる男キャラクターは客観的に見てだめな人たちばっかりですw)なんかに振り回されたらだめだ!って言いたくなってしまう。けど、それでも好き なものは好きなんだよなー。もう好きになったあとで外野がどうこう言ったってまさしくあとのまつり。
当人がだめな相手だって気づいてたとしても、もう堕ちた時点で恋には常軌など通用しないのだなあ。


そう、主人公・泉の好きな相手、葉山先生がね。ほんとうにだめな人なんですよ。 ※こっから激しくネタバレ



在学中から、明らかに泉だけ特別に扱うし。自分にしか見せない顔を見せてくれるし。卒業式に一緒に写真を撮ってくれたかと思えば、まさかのキス。。卒業後も連絡くれちゃったりなんかして、もう卒業をしたのをいいことに泉の思いを拒否しないし、挙句の果てに本当は「別れた」と説明していた訳あり奥さんとまだ籍抜いてなかったんだってさ。
とまあ、思いっきり恣意的に書き出せば相当よくないんだけども(大体この人先生だからねw 一応言っとくと、ちゅーした卒業式のときまだ教師と生徒の仲真っ只中なんだからねww 相手制服きたJKだからねwwwわらえないぜ…)

それでも葉山先生が泉をそんなふうに扱い、泉は泉で先生に固執するにはわけがある。互いの‘救済’とも言うべき呼応関係が、その大きな要因であったのだった。
泉は、ざっくり言えばいじめ。そんな大きなレベルじゃないし仲間もきちんといるんだけれど、クラスの女子の間でちょっとした除け者の標的になってしまっていた。そこに手を差し伸べ、助けてくれ、映画のような共通の話題で学校生活に彩りを与えてくれたのが葉山先生。
先生は先生で(これは泉の卒業後にわかることなんだけど)、当時は奥さんとうまくいっておらず、何かと喪失感やフラストレーションと闘う日々にあったらしい。その中に束の間の安堵をもたらしてくれたのが、泉の存在だったのだ。


お互いそのときは気づかなかったけれど、教師と生徒という間柄にあっても確かに2人は時間を共有し、確実に恋愛を育んでいた。立場がそれに気づかせなかっただけで、実際はお互いを強く求め、惹かれあっていたのだと思う。
後に回想する際、「子どもだったから、この人しかいないという思い込みが強かっただけ」と言う泉に対して
別の男性がかけてくれた
「そうかな。年齢に関係なく、愛したりはすると思うけど。きっとそれ、子どもだったから愛とは違うとかじゃなくて、子どもだったから、愛してるってことに気付かなかったんだよ」
という言葉がものすごく印象的。
本当にそのとおりだと思う。愛する気持ちに年齢や基準や条件なんて無い。お互いにとってお互いしかない、それはすでに「愛して」いる。たぶん。


だからこそ、卒業後にお互いの気持ちに(一方的に)気づきかけてからの過程が、ひどく切なくつらい。
こんなに好きなのに、どうにもならない。恋愛にはうまくいくかいかないかの二択しか無いわけだけれども、好き同士なのにどうしたって前者になれないその苦しさはなぜ生まれてしまうのか。と。

しかし本当はこれだって、葉山先生がどうにかしてくれれば、どうにかなった話なんだよね。その点でも先生はすごくずるい。

泉と先生は、本当のお別れをする前にたった一度関係をもつんだけれど、そのときに先生が「これしかあげられるものはなかったのか。君にしてあげられることは」みたいなことを言うのだよ。これが、特にずるいと思う。もう二度と起き上がれないくらいにめちゃくちゃに壊してくれ、って泉は言ってるのにだよ。それくらい好きなのに、あんなに狂おしいほどのセックスをしておきながら、最後に言うのはその半ば‘先生’としての一言。本音なのかもしれないけど、あなたがきちんと泉に向き合っていれば、ただ甘えるだけでなければ、泉はそんな風に言うこともなかった。セックスが最終的な高みになってしまうことも決してなかっただろうに何いってんの、と言いたくなる。

それでも先生には先生の人生があり、あくまで泉の視点からしか語られないから真実がわからないだけだったりもする。客観的に見れば絶対にやめたほうがいい恋愛であっても、当事者からしてみたら「好き」というただそれだけで、続けていく理由は完全に完結している。それがなんとも、ままならなく切ないところ。

「ただ、彼と一緒に居るほうが君は幸せだと思ったんだ。僕はね、いつだって君が心配なんだ。苦しんだり傷ついたりしないで生きているかどうか。それが守られるなら僕の独占欲なんてどうでもいいし執着をみせないことを薄情だと取られてもかまわない。」
という葉山先生の愛情は、達観のようでいてやはり逃避で、それでいても大きな愛情に溢れている。悔しいけど、この人はこういう人なのだ。やっぱり、わたしは泉と先生に、もっと軽薄な形でいいからしあわせになって欲しかったんだけど。




ひどい男の人といえば、泉が途中に付き合う彼氏、小野くんもひどい。ひどいというか、この人の場合は、見ているのがつらい、痛々しい。最初はとてもいい好青年なのに、泉を愛すれば愛するほど醜くなっていく。
泉の中に葉山先生の存在が大きくあることを知りながら受け入れたのに、途中からどうしてもそんな泉を許せなくなってしまうのだよね。それで半ば猟奇的になってしまい、葉山先生との写真や手紙を勝手に見たり、挙句拒否する泉を無視して無理やりセックスをしたりする。
一生懸命に気持ちに応えようとしていたし、事実応えつつあったはずの泉との関係を、自らの(歪まざるを得なかった)感情で壊してしまう小野くん。その拙さがなんともつらい。それほど人を好きになるということは大きな事で、こと若いうちの恋愛とはそれがすべてだというのを如実に描き出してくれる人物である。
そう、聡明な泉でも感情を爆発させることはあるし、葉山先生ほどの大人でも我慢できないことがある。皆 内に滾らせているだけで、本当は小野くんみたいなどろどろしたものを抱えながら実らない恋愛を大事に守っているのである。小野くんのほうがよほど素直で、 純粋なだけだったのかもしれない。
しかしそれにしたって、泉に性行為を強要するところなんかは読んでいて鳥肌がたった。行き場のない感情がひしひしと伝わってきてね。本当に恐ろしかったよ。

そういった登場人物に関する描写がとても丁寧で、頭の中にイメージする場面が次々と浮かんできて、この作品はとても映画的。
島本理生の文体は、江国香織をもっともっとこざっぱりとさせた印象なのだけれど、この作品は特にこざっぱりとしていて清潔清廉。だ のに内なる直情的な心持がひしひしと感じられる不思議な文体である。思わずのめりこんで読んでしまう。静かなのに、息のつく暇の無い文章。
さらさらと流れる映画のトレーラーを観ているようだった。


ところで泉と葉山先生の関係のはじまりは互いの‘救済’としての存在であったと前述したけれど、救済に関してはもう一人、柚子(ゆずこ)ちゃんという子が出てくる。この子がね、泉の高校の演劇部の後輩なのですが、またなんとも見ていてつらい子でね。
もはやネタバレしまくりなので書いてしまいますが、最終的に彼女は、強姦によるPTSDのようなものが原因で、自殺してしまう。
これはたぶん、
葉山先生によって救済された泉、
に対しての
葉山先生(もしくは他の誰か)によって(結果的に)救済されることのなかった柚子
としての構図という捉え方が出来ると思うんだけど、遺書みたいな手紙で語られるこのエピソードがどうにもこうにも読んでいて泣いてしまうような話なのである。描写の緻密さゆえに、どんなに彼女がつらかったかを想像するのが容易なだけに。

そして何より、とても賢かった柚子ちゃんでさえも乗り越えられないような境地が人にはあって、若いうちはことさらで、そういったときに寄りかかれる人がいるということがどれだけ掛け替えの無いことか、ということをひしひしと感じてしまう場面だった。まさに救済の存在があるということの奇跡を、暗に物語っているとも言うべきだろうか。

葉山先生を好きになること、好きでい続けること、別れをきちんと乗り越えること、その恋愛の一連を通して大人になった泉は、やがて新たな永遠のパートナーを見つけている。一生にたった一度の大きな愛情が、後にも先にも彼女の人生を支えているのである。それくらい大きな恋愛を、自分はしてきただろうか、するのだろうか、と思わず感慨に耽ってしまった。
恋愛、というととても薄っぺらな印象を受けることもあるし、実際に薄っぺらなこともあるけど、それだって全て自分の人生そのものの投影であるのだな、と思う。そして血となり肉となる。それってすごいことだと思う。本当にすごいことだとおもう。



ラストシーンは、何度読んでも泣いてしまいます。
数年かけて追ってきた泉たちの恋愛が、どのように昇華されていったのか。形にはならずとも、泉は今も先生の愛情に包まれて生きているのだなあ、と思うとしあわせだけど悲しくて、作中の泉と同じようにくつくつと泣いてしまう。懐中時計というアイテムがまたいいよね。懐中時計と万年筆。なんと美しいことか。


そういえばこの作品、数年前に映像化の噂があったよね。ぽしゃったという話だったけど、本当ぽかったなあ。
キャストが確か長澤まさみ堺雅人とかいう話で、それだけでもうすんごく観たいんだけども…!!
今の長澤まさみだと大学生ってぎりぎりだけど、しかし観てみたいなあ。そして堺雅人が葉山先生ですか。ぴったりすぎわろた。あーーーー本当に観たかった!!今からでも遅くないよ。やろうよ東宝さん!!!!


というわけで、何度も読み返してしまう思い入れの強い作品でした。好きです。ナラタージュ