映画「しあわせのパン」

オフィシャルサイト→http://shiawase-pan.asmik-ace.co.jp/index.html

どうバカにはたまらん本作。ここらへんだと利府でしかやってないんだねー。時差でフォーラムあたりにきそうだけれど、早く観たかったので早速行ってきました。以下、盛大にネタバレするので未見の方はご注意を。




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東京での生活に疲れ、旦那さん(当時は彼氏?)に連れられて北海道は洞爺・月浦でカフェをオープンさせた水嶋夫妻の話。カフェにいろんなお客さんが現れて、いろんな内的変化を遂げて帰っていく。最終的に夫婦自身が探していた何かを見つける…というお話です。
奥さんは原田知世、旦那さんは大泉洋。このふたりの雰囲気がまずよい。映画ビジュアルどおりのほんわり感。ゆるふわ森ガール(笑)にはたまらないと思う。かく言うわたしもひたすらたまらんな〜だったw
特に原田知世(りえさん)。もう何もかも可愛い。見た目も、仕草も、服装も、声も。特にお洋服、出てくるものすべてかわいいなあと心底感心していたら、スタイリストが大森仔佑子だった。超納得。日常の中の幻想のようなお洋服、だけどどこか毒っけもあるような。しかもそれが原田知世の醸す雰囲気と「しあパン」の映像の世界によく合っているので、観ていて惚れ惚れしてしまう。さすが大森さん!!!とエンドロールを観ながら思わず口に出してしまったw

大前提として話の軸になっているのはふたつのモチーフで、
ひとつはりえさんの好きな「月とマーニ」という絵本のお話(実在はしない。けど、しあパン公式ガイドブックの巻末に収録されているそう)。
もうひとつは水嶋くんの好きな「カンパニオ」という言葉で語られる、パンとは何かと言う話。
月とマーニのお話はとてもよくて、わたしはこの一節に触れられただけでもこの映画を観に行った甲斐があったと思った。太陽と月、そして人という三者の関係性と、人間の生き方とがなぞらえられる。
作品冒頭のナレーション「大切なのは 君が、照らされていて 君が、照らしている ということなんだよ。」
というフレーズが、全編を通して穏やかに効いているなあとおもう。

で、水嶋夫妻は毎日パンをこしらえる(橋田スガコ風)わけだけれども、本作はそのパンに大きな含みを持たせていた(当たり前っちゃ当たり前だけど)。
「同じ釜の飯…」とは日本語でもよく言うけど、それと同じことがパンにも言えるということ。1つのパンを分け合うのが仲間だと。それが家族の原点であると水嶋くんは言うわけです。
それらをわかりやすく示すかのように、作中では‘ひとつのパンを分け合う’シーンが頻出する。特に水嶋夫妻。
基本的にこの夫妻は会話があまり多くなくて、‘言葉にしなくてもわかりあえる、もしくはわからなくてもそれを詮索しようとはしない’という絆の強さが描写されているように感じられる。だからこそパンを分け合うという動作に、含蓄というかふかーい意味があるように印象付けられる。そこにカンパニオという言葉で明確な意味づけがなされることによって、この夫婦がパン、ひいてはカフェ・マーニに込める特別な思いがいっそう立ち表れるのだ。

前述の‘誰かに照らされて、誰かを照らす’ということ。りえさんが自分の生き方にそれを探す時、傍らにはパンがある。水嶋くんが作ってくれるパン。2人で、もしくはかけがえのない仲間やお客さんをまじえて、分け合うパン。その味はその時々の食卓の気分そのものなんだと思う。しあわせがあり、たまに悲しみがあり、そういうのを共有して分け合って、2人で(みんなで)お店を作っていく。2人にとってはパンとは悲喜こもごもであり、とりわけしあわせであり、カフェ・マーニで織り成されていく人生そのもののように思える。


そういえばよく目に付いたのは、基本的にこの夫妻は他人からの賛辞や感謝に対して全肯定的であるということだったなあ。
「こんなきれいな奥さんうらやましい」(だったかな?)とか、「こんなおいしいコーヒーを淹れられる人といられるなんて良いな」(パンに関しても同様の発言あり)とか、「思い切ってこんな『人生の楽園』的な生活できてるのはしあわせですね」(思いっきり意訳)みたいなことを言われても、まずお二人は「はい」とか、「いいです」とか、そんな風に答えて謙遜しない。言葉少なな夫妻は、現状をとにかく無条件に肯定する。うーん、夫妻っていうよりは、ほぼ水嶋くんがそうだった気がする。今書きながら思い出した。
たとえりえさんの心に一抹の不安や悲しみがあったとしても、水嶋くんは自分たちの人生の今を肯定し続ける。ずっと静かにパンを焼く。
人の人生に関しても否定はしないけど、けど適度な介入はするというのがまたミソで。結局自分たちのカフェで起こった他人の変化(自分たちのパンやらなにやらの食べ物がきっかけとなった「しあわせ」)が、ふたりの人生の更なる肯定につながっていっていたような気がする。

それにしても、観ながらしみじみ思ったのは、本当に食べることは生きること、生きることは食べること、という概念。「おくりびと」とかでも言われていたよね。<冬の客>として出てきた関西弁のおじいさんとおばあさんにとってのごはん(最初は米)は、生きる希望そのものだった。
それしか食べられないと老夫婦が言っていたお米。カフェ・マーニの米びつにほとんど残っていなかった。だけど水嶋夫妻の懸命の対応で、抱えるほどの米がマーニにやってきた。食べるうち、パンと言うマーニならではの味も知った。もっと食べたいと願った。失われていた「生」への希望が、水嶋夫妻の食事によってどんどんと復活を遂げ膨らんでいったのだ。そこにまた、パンに託された意味を見出すことが出来るようにおもえた。
わたしの唯一の泣き所はここだったよ。やっぱり「老夫婦と余命」系は反則やで・・・。



最後にりえさんが、「見つけたよ、わたしのマーニ」と言っていたけど、果たしてそれは何(誰)のことだったのだろう。
水嶋くんというのはあまりに陳腐すぎるし(というかりえさんにとっての水嶋くんが、それまでマーニだと気付かれないほど軽い存在だったとは到底思えなかった。そもそも水嶋くんはりえさんの太陽に他ならない。)、だとすれば何のことだろう?
水嶋くんが太陽。りえさんが月。だとすればマーニとは、わたしの個人的解釈では、カフェのお客さんのことなのかとおもう。お客さんとの人生に、さりげなく、だけどしっかりと関わっていくこと。食べ物を通して、誰かの生きる理由になること。そのためにごはんをつくること。誰かの生きる場所になるお店を守っていくこと。そしてそこに至る確固たる所以を作ってくれた、水嶋くんが自分にとってかけがえのない太陽であること。それを教えてくれたお客さんこそがりえさんにとってのマーニなのかな。と思った。もしくは、パン。うーんちょっと安易すぎかな。

ちなみに一緒に観にいった友人は、マーニとは2人の赤ちゃん?と言っていた。
うーむ。悩むねー。
しかし、少なくともあの時、りえさんは自分のお腹のなかの変化に気付いていたんだろうか?
りえさんだったらどっちでもありえるんだよなあ。けど、わたしは、あの時はまだ知らなかったと思うんだよなあ。

しかし最後は赤ちゃんができて終わりかなとは思っていたけど、まさか大橋のぞみちゃんがその存在だったとは。思いつきませんでした。のぞみちゃんのナレーションは最後の最後までてっきりやぎさんの心の声だとだと思ってたwそうくるとはねwww



全体を通して、すごくいい映画だった。
でもひとつ言わせて貰えば、まあ恣意的なかんじはばんばん感じました。
うーんとね、似てるところとしては、「めがね」「プール」「マザーウォーター」のあのシリーズのあざとさみたいな。伝わりますでしょうか。。
作為的なゆったり感というか。どうぞこの雰囲気に存分ひたってください!ゆったりしてください!そういうほかにはない温かいぬるさがこの映画の魅力です!!!!!!って感じのあざとさがあることは否めない。
そこが結構露骨だったので、最初は個人的にちょっとうっ・・・ってなってしまった。
特に、ゆるっとしたかんじを出すための会話(台詞)のなさ。あれだけはちょっと、逆に不自然できつかった。。ぬるかったというか。とりわけ<秋の客>は厳しかった。ていうか長かった。ちょこっとあきた(失礼)
あの、<秋の客>のクライマックスシーン。あがた森魚はいい。すごくいいんだよ。いいんだけど、あんなしんみりしたところにアコーディオン出されて悲しげな曲弾かれたらわたしはキレるwwww
あの、こんなところにこんなおじさんがいて実はアコーディオン弾きでいい夜を演出しちゃう不思議感もまたいいでしょ?感はあざとかったw わたしがひねくれてるだけかもしれないですがね・・・。

けどまあそれでも許せるのは、やっぱり作品の世界観が徹底して嫌味がないからだとおもう。そこは素晴らしいと本当におもいます。


最後に、演出について。
この作品の演出として特筆すべきは、とにかくモノ…ことに食べモノが堂々と主役たるというところだろう。
コーヒーミルを挽く場面や、カップにコーヒーを注ぐ場面、野菜たっぷりのスープが煮えるお鍋。ふわふわの生地にフルーツを入れて成型するところ、炊き立てのごはん、焼きたてのパン、などなど、多くのものものが真上からのショット(≒一人称目線)で撮られていて、これがほんとうにおいしそう!においや味が立ち上ってくるのがわかるような(特にコーヒー)そういう抜群のカメラワーク。おいしいものをおいしく見せるということに徹底したこだわりが見えて、とにかくおなかが空いた。この演出のよさもまた、映画の雰囲気をとにかくいいものにしてくれていたと思う。

総じて満足な映画だったよ。
利府まで行った甲斐あったーーー。


全然関係ないんだけど、これ観ながら食べた「ポテチ」公開記念のフレーバーポテチ(\500)が脂っこくなくて結構おいしかった。よくよく考えるとすんごい高いけど・・・。
しあパン観てると何か食べたくなる(それもジャンクじゃないもの)のだが、このポテチならぎりぎり大丈夫な自然っぽさだったので勢いよく食べてしまった。また食べにいこー。「ポテチ」は4/7仙台先行上映スタートです(きりっ
ちなみにわたしはポテチの廻し者でも映画館フードコーナーの廻し者でもありませんw