三浦しをん「きみはポラリス」

文学は虚学である、というのは、文学部出身者なら結構な割合で言われた経験があるのではないかと思う。
わたしは卒業した大学が理系中心大学だったので特に、そういう肩身の狭い思いをさせられることがしばしばあった。
「文学部の論文って何するの?w」と聞かれると、答えるのも面倒なので「壮大な読書感想文書いてますww」と返すようにしていたこともあるw


だけれど、学べば学ぶにしたがって、文学を学ぶことの奥深さ、面白さに惹かれていったことを覚えている。実際行動に移すとなるとくじけてしまうこと間違いなしなのだが、文学の大学院で学んでいる社会人の方などを見ると羨ましいなあという純粋な気持ちに駆られる。
そんな文学部の学生だった頃、三浦しをん「きみはポラリス」の一節に励まされる、という話で友人と盛り上がったことがあったのを思い出した。


「明日からは餡をこねるのです」
わずかな沈黙さえも耐えがたく思われ、私は早口でしゃべった。
「文学とも、ましてや国の発展とも関係のない毎日で・・・」
私の言葉は掠れて途切れたが、先生はそれには気づかなかったのように少し微笑んだ。
「私も国のためになるようなことはしたことがないな」と先生は言った。
「それにね、蒔田さん。文学は確かに、餡をこねること自体には必要ないものかもしれない。だが、餡をこねる貴女自身には、必要という言葉では足らないほどの豊穣をもたらしてくれるものではないですか」

今引用していても、ちょっと泣きそうになった。笑

主人公は餡子屋さんの娘で、就職やキャリアとかのためではなく、いわゆる嫁入り前の修行、‘教養’を身につけるようにと大学の文学部に入った口だった。一昔前ならさもありなん、という感じである。

でも、文学を研究することに、どんどん惹かれて行く。それは恩師の存在というのが何より大きかったのだけれど、ともあれ、
文学とは人にとって何か、というのを、深く考え感じさせられることになるのだった。



ロケットは飛ばせないし、HIVも治せない。人を裁くこともできないし、お金を大きく動かすこともできない。
それでも、文学とはわたしたちの心に豊穣を与えてくれる。人が紡ぎだした言葉の連なりに、わたしたちは人の心の機微を感じる。そして自分の血となり肉となる。


文学とは豊穣、その言葉に救われるように毎夜学び、語り合い、今思えば全部青春なんだけど、そんなこんなしていた日々のことをふと思い出した。その友人がもうすぐ結婚式を挙げる。
卒業して3年が経とうとしているのだな、と改めて思った。


日々の豊穣を積み重ねて行きたいなあ。




きみはポラリス

きみはポラリス